<TREND>

2003.10〜11号

停滞する!! 新・革新機の研究開発


 バブル期にあれほど活発だった革新機・新機種・超高速自動化への研究開発が軒並み各社とも大幅に減少している。
'94〜95年の円高につづく'97〜98年の金融・銀行の不振が製造業に打撃を与えたことも確かだが、アジア金融危機が日本にとって主要な輸出先であった韓台ネシア向けが大幅に落ち込んだことも開発費の削減に響いている
 昨今の各社決算書あるいは中小メーカーの内容を調べても、こと繊維機械や部品、関連装置に関して見るかぎり、軒並み30〜80%(約10年前と比較)もの大幅減。もちろん欧州有力・大手メーカーも同様で、その間、倒産や吸収合併、生産機種の切捨てなどドラスティックな時期に開発費を維持するのはムリというもの。95年のITMAミラノ展、99年のパリ展を取材した限り、そのことがハッキリうかがうことができる。今年の英バーミンガム展も日欧の有力大手メーカーの過半数が出展を辞退したこともあって、ますますその感は否めない。


開発スタッフの嘆き、人材不足が表面化

 繊機大手の技術・開発の担当幹部のグチとも本音ともつかない話を黙って聞いていた.「予算も人も削られ、これといったテーマも見当たらない。提出した企画の大半は差し戻し。理由は人、金、時間的余裕もない。上司と直談判すると『開発と製作コスト、需要見通し、製品化までの期間』そして何より『どのぐらい安くでき、いくら儲けが出るか』と。渋い顔をすると、では取りあえず資料なりレポートを簡単に分かり易く提出しなさいーーだもんね。それでいてなかなか結論を出さない。督促すると『裏付けを別のスタッフに調べさせている』だとさ。3ヵ月以上も経って結論が出なければ、誰だってあきらめてしまう。以降、部下もやる気が失せて、在来機の部品改良や運転効率と省エネ、メンテ・フリー化、コントロール簡素化などで設計図面屋さん、外注品購買担当者との間を行ったり来たりで時間を潰している始末さ。
 紡績や合繊大手でさえ「石油危機以降、繊維関連では生産性向上とコンピューターの発達で品質管理が容易になったことぐらい。技術や設備機械の発展が多少寄与したことは否定しないが、この間、肝心の原糸の方は紡績糸では三重構造コアヤーンや肌触りのよいソフトヤーンなど。合繊では中空や異形断面糸、それに人工皮革や眼鏡拭きなどで知られるマイクロファイバー。タイヤコードなど産資用も少しは進んでいるが、それ以上に工程の合理化と糸の改質が主なもの」
 「優秀な研究技術者がバイオ、エンプラ,医薬原料など他事業部門に流出してしまい、人材不足はここ30年近く続いていると言うわけだ。“実績なければ予算ナシ”という現実をイヤというほど味わったよ」


需要構造変わっては超革新機の出現困難

 画期的な機械設備が出現しにくい理由は前述のような理由だけではない。第2第3の原因なり理由としてーー
生産性追求から、特に先中進国では品質向上に眼が向い、多品種少量・高付加価値商品が主流となった。これによって生産技術・管理がより重要視された。だが残念ながら、これら高生産(高速化)でありながら高品質・均一性、そのうえ多品種に対応可能なものは、ユーザーも望み機械メーカー技術者も一時夢見たものの、いまだ実用化への道は虹かオーロラのように、遠くから見ると美しく、追っかけても逃げていくか途中で消えてしまう。はじめから不可能と決めつけているのだ。
 1960年代、華やかに革新機が続々登場した。ロータ空紡機、自動ワインダ、レピアルームにジェットルーム、ダブルツイスターやフリクションローラDTY、染色ではジェットやロータリ方式と大賑わいだった。20年近い研究開発を経て実需拡大をみせたスルーザー織機もこの頃からだ。
 なぜこれほどまで革新機が賑わいをみせたのか。戦後の混乱期を脱して経済復興から次の成長期に入り、たまたまソ連のスープトニクから米の月面着陸という衝撃的な技術革新時代に当たっていたからだとの見方もある。しかし一方では、生産性向上を目指した合理化気運が繊維工業界(他の多くの産業界も同様だが)で盛り上がり、国際競争力強化という旗印を掲げて、日本では政府の音頭で構造改善事業で設備近代化促進・低利融資の予算によって大いにスクラップ・ビルドが実現した。しかし72年のニクソンショック(為替レート固定から変動相場へ)73年の石油危機によって、それまでの生産性追求から省エネ省力化へと移行、工場閉鎖や老朽設備廃棄によって、やっと需給バランスを保っていたが、(その間、合理化カルテルも実施された)85年のG5プラザ合意による円高によって、革新技術への芽が一時そがれたことも確か。


中・印の市場動向を注視、現状にマッチした開発を

 6〜7年前、M社で“単錘駆動方式のダブルツイスタ(フィラメント用)”の試作機をみせてもらった。ギャボックスはフィーダと巻取りコントロールだけで実にシンプル。99年のパリ展では綿糸用を出展、単駆モータもブラシレスで握っても熱くなく結構人気を浴びていた。ところが国内でも欧米でも実需が少ない。では紡績が活発な中進国、例えばメキシコ、インド、マレーやネシア、トルコ、ウズベキスタン、トルクメニスタンなどが注目すると思われたが、これまた期待はずれ。会場で知り合ったパキの紡績会社のオーナーに評価を聞いたところ「国内の大方の工場は20〜40'S、すなわち単糸をチーズ揚げで輸出している。双糸や追撚りは僅かで、その場合はリング撚糸でやっている。安い中国糸に押されて休機もでている。最新鋭機なんてとんでもない。資金に余裕があればエアスプライサの自動ワインダをもっと増やしたい。どこの輸出先でもノットレス糸でないと買ってくれないからね」と。
 単錘モータは87年のITMAパリ展で精紡機ではSKFが、カバーリング機ではスイスNBCがデモしていた。日本でも大手メーカーが追随していたが、ランニングコストは下がるものの初期投資に相当負担がかかるとして、全くといってよいほど普及しなかった。
 ロータ空紡機やエアジェットスピニング(結束精紡)でも一時期華やかに宣伝され、それなりに需要があったものの(高生産性を追及し、商品開発レベルの高い日本や欧米諸国が中心。逆に印パなど綿糸生産国,当時合理化設備が活発だった韓台両国でさえも、僅かな投資にとどまった)市場が労働人口の多い中印パやトルコ、メキシコなどに移ってしまった今日、製造メーカーである空紡機では前出のSchlaやRieter、AJSの唯一のメーカーである村田に、改良に改良を重ねて、その完成度が高くなったこれら革新機の将来見通しなどについて、改めて見解を確かめ報告したい。

<注>Rieterは2年前のシンガポール展でチェコ製のロータ空紡機を展示。周辺自動装置を省き、紡出糸を絞ったシンプル機能機でコスト引き下げを狙ったもの。逆にSchla社Autocoro空紡機は、ジーンズ用6'Sから60'Sのシャツ地用まで、一方で32〜56'Sニット用まで多様な機種を揃え、いずれもフルオート化を図ってきた。
 一方、AJSの村田も45'STC混で紡出60米から始まって加工糸とのコアヤーン、さらに綿100%で120米、さらに200米越え、練条揚げスライバからカード揚げでの直接精紡へと飛躍的に技術進歩させた。すでにオートピーシング、独自のジェットノズルの改良にによってエア効率を高めることで高速紡出と糸抜け率の減少を果たせたとして、今回のバーミンガム展に出展するとしている。

 雨後の筍のように革新機に挑戦して来た日欧の各メーカーだが、60年代から80年代にかけて他業種からの参入も含めて、どれほどの企業が現れては消えていったことか。大部分の経営者は、完成すれば、あるいは作れば売れるとの幻想を抱いていたのか。それとも“ダメ元”とでも思っていたのか。(パブル期の不動産投機より先に開発ブームが起こっていたことになる)
 市場分析、需要動向、開発設計あるいはプロトタイプの試作費、それに伴う装置や部品調達等々を考えると、アジアではもちろん中国に、欧州ではチェコあたりにR&Dセンターを設立して、次代の革新あるいは改良機の開発・設計を考える時期にきているのではないか。中国は巨大市場現場での情報収集、チェコは空紡機やWJL、AJLの基礎技術を、またウィービング・ニット機を開発するなど、オリジナリティ豊かで機械工業が東欧でも一番発達している国。西ヨーロッパと繊維産業の盛んなトルコの中央位置にあることも有利だろう。
 革新機はこれまで大部分は技術者の頭の中から生まれてきたが、これからは市場から芽生えたニーズによって育っていくのではないか。