2005.12号
<特集>
前編
シンガポール→イスタンブール・北京→ミュンヘンへの道筋
「中国市場依存」からの脱却を図れるかの模索期間
▽▽▽ ▽▽▽ ▽▽▽ ▽▽▽ ▽▽▽ ▽▽▽
ITMAアジア(シンガポール)が閉幕して、さて輸出市場を改めて見渡してみる。やはり中国に頼らざるを得ないのかもという大手グループやメーカー。いや中国だけでなく、インドやトルコも依然期待が持てると商社や当地代理店たち。アセアン諸国のうち非イスラム国のタイ、ベトナムに加えフィリピンも中国が代替輸出基地として狙っている(対欧米繊維貿易摩擦により)と踏んで情報収集に走る関係者。
いずれにせよ、シンガポール展からITMAミュンヘンまでの2年間、その間の来年のイスタンブール(6月)と北京展(10月)で、やや小さくなったパイを巡って日欧中の繊機メーカーが市場獲得競争を繰広げることは間違いない。というのも、原油高が世界景気の足を引っ張り、米の戦費・災害など財政赤字と金利上昇が今後ボディブローのように響いてくることが予想されるからだ。となれば当然、中国も繊維のみならず、家電などの輸出商品はわずかだが人民元の切上げと相まって、設備・生産過剰、エネルギーや人件費の上昇、資金不足なども手伝って、これまでの勢いは失速しつつある。
昨今、第2第3の市場と目されたインド、メキシコ、ウズベキスタンなど棉産国も今ひとつ伸び悩んでいるが、果たして再発進するメドがつくかどうかが、設備機械各社の生き残りの鍵を握っているといえそうだ。
△△△ △△△ △△△ △△△ △△△ △△△
高まるカントリーリスク、ポスト中国もやはり中・印か
中国ブームで低落免れた日欧メーカー、しかし「過剰3兄弟」徐々に影響
(編集部) 今年は5月の中国・上海展と10月のITMAアジア(シンガポール)が主な国際展だったが、いずれも中途半端で物足りない展示内容だった − というのが中印両国やアセアン諸国からの一般視察者の評価。アジア地域では超革新機や全自動機のほか揚げ玉の無人搬送システムなどは客の目を引くものの導入するところはまずない。出品してもムダというわけで、勢い在来機にITや省エネ機構を付したもの、多少の技術的改良を加えたもの、製品の高級化対応のもの、操作・保守を容易にする機能に切り替えたものなどが主流だったようだ。
(記者) 日韓台といった東アジアの繊維先進国が中国という低コストで大量生産加工でき、巨大な人口と消費、さらに製品の輸出基地として急拡大したことで、日欧米のみならず韓台までもが急激に後退縮小した。特に合繊において1980年代後半から90年代半ばにかけて中国が3大合繊であるポリエス、アクリル、ナイロンの原糸やワタを大量に周辺諸国から買い付けたことで、日韓台で折からの世界的"ポリ長ブーム"と相まって、各社は増設に走ったが、5年後には中国の大幅設備投資でプラントが拡充されるにつれ原糸輸入が急退し、周辺国各工場は操短そして工場閉鎖が続出した。とくにダメージを受けたのが97年秋の"アジア金融危機"で、アセアン諸国の貿易が細ったうえ現地への海外進出企業は軒並み大打撃を受けた。それ以降、日韓台の合繊はもとより紡織など繊維工業の沈下が激しく、いまや一部の高級品向け原糸かタイヤコードやエアバックなど産資用、あるいは最近の傾向として高度な加工技術を必要とする消嗅・防菌・UVカット・事故防止衣料向けなどで生き残りをかけている、というのが現状だ。
(編) 日米両国の対中繊維投資がポスト・バブルの切札かのようにOEMあるいはアウトソーシングで現地委託、そして合弁または直接進出によって中国で御輿(みこし)を担いだことが"空洞化"に拍車をかけたことも確かだ。お金は利回りのよい方に流れるが、労働集約産業は高きところから人口密集・低賃金の国に移行する。
(記) 当初は原材料を輸入し、それを加工し製品を国内消費に向けることから始まって、やがて輸出に向けることは400年前の大航海の時代からパターンは変わっていない。そのうち原材料も商品製造国内で生産しようとする気運が高まるのも経済の必然的な原則だ。これがうまくいって儲かるかとなれば新規参入(合弁あるいは私企業など)が増え、投資が投資を呼び生産量は飛躍的に増大する。捌け口として先進消費国に集中して輸出され、それが貿易摩擦を生む結果となる。
中国中央当局は中国人民あるいは商工銀行などを通じて昨春から金融引き締めに転じ、今年7月に人民元の対ドル固定レートを2.2%切り上げたが、中小零細下請け業者に工賃をシワ寄せさせるだけで、大手や輸出業者はあまり痛みを感じていないようだ。しかし最近の状況は少し様子が違う。日米のエコノミスト、特に中国ウォッチャーは口を揃えて『中国は先頃発表した経済5カ年計画で、GDP7%前後の成長を少なくとも'08年の北京オリンピックを過ぎても維持すると決めたが、不動産バブルが沈静化し、原油高、設備投資規制等々(鉄鋼、セメント、合繊など)により、計画後半は(さらなる元切上げも予想され成長度は失速するとみている。このところ日米や韓台からの資本直接投下も昨年央から平均40%以上減っている。その原因はもちろん原油高、エネルギーや工業水の不足が根幹にあるが(但し、切上げを見越した短期資本は急増)、これに拍車をかけているマイナス要因が"過剰3兄弟"だ。すなわち不良債権、失業者、生産・加工設備がとくに多すぎることを指している。いずれ所得格差が政情不安につながる恐れもある。中国上場株式のA株B株揃って年初から下がり続けている。上場によってゴボッと資金が入り、設備投資に回したものの販売が伸び悩む、在庫が増える、安売り競争に走るなど利益を生まなくなったためだ。株主たちも当面立ち直る材料なしと見て損切り売りに走ったためだ。とくに繊維や家電業界などはオリンピックブームを期待してロゴマーク入りのTシャツやスポーツウエア、ユニフォーム、またテレビやデジカメなどが爆発的に売れるだろうとみて、ここ1〜2年は身を縮めながら推移を見守っているのではないか。この見方が正しければ、ここ数年間はおそらく設備新規投資は控えるだろう。なぜなら、今までも設備過剰、そして人民元の更なる変動、対欧米輸出数量自主規制の動きといった不安定要因が山積しているのだから』というわけ。
「現地生産化」当初の合弁・KD方式はことごとく失敗、
直営進出前にまずブランドとサービス網の確立を
(編) 長々と説明ありがとう。要するに中国の繊維設備投資はここ数年"中だるみ"と云うわけだ。
でも97年秋のアジア金融危機以降の中国の設備投資ぶりは昨年夏まで6年間あまりも持続するなんて、思ってもみなかったのではないか。もちろん日本からの現地工場直接・間接投資に加えて技術供与や指導もあって、彼等に刺激を与えたことも確かだ。お陰で日本の繊維機械業界がバブル期以来の賑わいだったし、その間も、企業も償還期限が迫った社債の支払い、さらにリストラも断行できた。この勢いを馳ってメーカーの一部は現地生産しようという計画も策されたが、昨年3月までは100%資本の直接投資による現地での機械製造は認可されなかった。それまで現地側との合弁進出も考えられたが、例えば旧ニッサン・テクシスがジェットルームで旧満州の瀋陽で現地側は織機フレームを、ニッサンは日本から開口や緯入装置を輸入してセミKDで当初はWJL、その後AJLの生産を始めたが、うまくいかず撤収した。
90年代に入って津田駒、帝人製機も鋳造フレームや機械パーツの中国調達を始めたが、材質・精度・歩留まりなどで苦労の連続だったようだ。その後、村田機械が上海でパーツ生産工場を設立、自社の搬送・工作機・繊機向けに日本へ送っていたが、やがてこれまでに輸出し稼動している機械のメンテ補修パーツも現地生産しだし、日本からのパーツと併せてアフターサービス網にのせるなど、比較的順調に回っているとしている。
(記) 欧州とくにドイツのメーカーの中国での現地化の動きは早かった。ワインダのシュラフォルストは上海に営業・サービス・KD組み立て拠点を設けて活動しだしたが、安い中国製のRT式が主流を占めていたこと、一方で自動機の関税が高く、たとえKDで1部のパーツを現地調達しても組み立てに手間がかかるうえ需要と供給さらに在庫とのバランスを欠いて、ついに数年で撤収した。
別の例を引く。同じくドイツのバーマグ社が合繊加工機DTYを'90年の初めに無賜(ウシ)の中堅機械メーカーをパートナーとして、図面と技術と主要ユニットを供与することで現地生産を始めた。バブル期に台湾に一番多く売っていたし、中国の広東省のニット産地にも香港経由で売れていた。台湾はさらに対岸の福建省福州に多数の繊維工場の進出を果たしていることで、さらに現地生産によって拡販を狙ったもの。しかし2年足らずでケンカ分れしてしまった。。'94年の北京展を視察・取材に行ったとき、バーマグは予定していたFK6型DTYの出品を取りやめ、合繊紡糸と巻き取り装置のミニモデルを出していた。そこで生え抜きの営業担当副社長(後に赤字の責任を負って退社)に「中国のホールで貴社の提携先のメーカーが、バーマグ・タイプの国産DTYだとして出品しているが、いったいどうしたのか」と皮肉混じりに聞いたところ、彼は「設計や技術を無視して、とにかく安く売ろうとばかり考えて、粗悪部品をムリやり組み込んでいる。撚りムラがでようが、錘間バラツキがあろうが、後からクレームがくることが分かっていても、まず売って儲けようという魂胆だ。だからといって本国からの輸入機では高く売れない。」と、いつもイケイケのオジさんも、経済開放されて間もない中国商人を相手にパートナーを組んだことへの後悔がにじみでていた。
彼らはその後無錫にまずバーマグがDTYの直営工場を、撚糸機のフォルクマン社がアルマ社と同地に工場進出したが、需給面もさることながら経営的にはどうなるのだろうか。
いずれ中国からアセアン、中南米、トルコ、インドか東欧あたりに向けて輸出される時期にきているかも知れない。
(編) EU圏内でも政治や経済、労働者の意識は国々によって異なり、リセッションになればその"同床異夢"ぶりが表面化する。ましてやそれぞれ体制の異なる中国やアセアン諸国はもちろん、安定しているインドやタイでもカントリーリスクはついて回るのが当たり前だよ。情報収集と現地の根回しが肝要だ。
意義も効果も薄れてきた国際展、中国に振回されすぎた日欧、次は"政冷経温"か
(編) ITMAアジアが終わって、各社の営業担当たちは"ポスト中国"市場を求めてEUは東奔、日本は西走南歩というところか。彼らのこれからの苦難苦労が目に浮かぶ。というのも中国以外、例えばアセアン各国のうちベトナムは縫製はともかく、今後織布か、ニットなのか、逆のぼって紡績か合繊のワタかフィラかといった予測もつきかねている。タイやネシアは日韓台の進出企業が主に方向・方針を決め計画が実施されるので、後は商社などと情報収集し、商談に入ればよいだけ、核になる方向が決まれば華僑系現地企業も追随するなど担当者も比較的楽だが、インドやパキスタンなどは綿紡織機の巨大市場だが、金融とくに外貨割り当て制度が依然残っており、自由にプラントを売り込み難い。約10年前、ポリ長ブームで印パ両国併せて150近くの大小規模の導入案件が日欧メーカーにもたらされたが、結果は1割程度が割り当てられただけだった。
こうした事情をふまえてのシンガポール展だったものの、これらの出品機の傾向は2年前のITMAバーミンガム、いや6年前のITMAパリ展からほとんど変わっていない。その間、中国の北京と上海で毎年開催されてきたが、日韓台の繊維工業(産資用は別にして)が衰退したことも手伝って、中国をはじめ東南・西南アジア向けの展示機の内容は全体を見渡しても、20年いや30年前に革新機といわれた機器の改造・改良型ばかりが並んでいる。確かにより精度が上がって高速化を果たし、コンピュータによる自動制御化され、操業管理が容易となり、省力や省エネも進み生産性は飛躍向上した。だがこれら機種の基本原理は全く変わっておらず、改良・安定も10年ほど前から(細部の機構や部品などマイナーな部分を除いて)また性能その他についても、ほとんど変わっていない。変わったのは、中印など巨大市場向けでは"輸出価格の低落"を招いただけということになろうかと思う。
(記) ここ10年いやバブルが崩壊して中国が最大市場となって以降、92年から北京・上海と毎年隔年毎に商工当局主催の官製イベントが主導して開かれてきた。物価水準からみても、小間代もディスプレイも、また電力や水道や保安など諸経費も割高である。会場の土地や建屋や駐車場は当の市が管理しているが、主催は政府直轄だけに、日欧の出展常連企業はマンネリなので途中一度出展を見合わせたいと思っても、主催相手が相手なので断りにくいという。自動車のように大衆を相手に新車種を次々に発表して需要の掘り起こしをするようにはいかず、繊機の場合は川上・川中の工程がほぼ確立され、設備機械もその範疇の中で革新性を開発・啓蒙していかねばならず、しかも性能アップとコスト引き下げ、コピーされるリスクも考慮してかかる必要もあって、おいそれと最新鋭を中国で発表しずらい雰囲気になりつつあるという。
(編) こうしたマンネリから、少し目先を変えるべくサウラーグループは傘下のノイマグや撚糸機のアルマやフォルクマン、新たに加わったオーストリアのフェーラーを通じて産資向けをITMAで前面に押し出してきた。産資用はどうしても需要もユーザも限定的にならざるを得ないが、日米欧の原糸の改質や新繊維の開発で用途拡大の兆しをみせていること、例えば炭素繊維で見ても航空機や宇宙ロケット(ミサイルや特殊車両なども)スポーツ用品その他でニーズが広がり、日本各社とも増設増産に入っていることでも裏付けられる。
(記) しかし一方で「コンパクトヤーンの需要拡大」といった流行の波を追うように、主要リング精紡機メーカーが一斉に同じようなものを出品、高級糸の生産効率が他社より高まるといった技術力を競う場ともなっているが、オールドマシンをハイテクで"先祖返り"させたようなものかも知れない。しかしコンパクトヤーンが急増したお陰で、村田やシュラやサビオのスプライスノットの自動ワインダがケバ伏せ機能を付与して対応することなどで新たな技術と需要増につながったことも確かだ。中国では村田のAJSを、またロータ空紡機も当初は豊田機、つぎにインゴル(リータ機)やシュラの当期のオートコロのコピー機を現地の展示会で堂々と出品する。それでいてコピー製作させた当の紡績工場以外からの注文はほとんどない。この現象をどう考えればよいのか、いまだに判断に苦しむよ。糸の品質やバラツキ、糸切れ多発などに目をつむって、機械の安さや高生産性だけに目を奪われるユーザーが昨今少なくなったということなのか。とすれば中国内の消費者でさえも安いだけの粗悪品から離れつつあることを示唆していることになる。
(編) 一番の問題は「日欧の機械メーカーの技術開発が停滞あるいは低迷」していることだ。最大需要国の中国が、当初は最新鋭機をほしがり、高いうえに使いこなせないと知るや、次に安くてシンプル機構で、しかも高生産機を求めて規模拡大に走った。中国は革新紡機や超高性能機よりも、例えば織機でいえば、40年前から普及し始めたレピアやジェットなどの無杼織機、そしてリング精紡揚りの管糸を編織するための準備工程である糸の巻返しを自動的に糸欠陥を除去して糸結びするワインダを求めた。その後輸出用の生地や製品向けにノットレス糸が主流となるや、たちまち日欧メーカーから争って導入した。複雑なメカと精密部品の組み合わせと多様な電子制御方式で、しかも各錘ユニット毎に独立駆動していることから、そう簡単にコピーできない。彼等に可能なのは、簡単な消耗部品を代替コピーするだけだといわれている。そっくりデットコピーしてもまともに動かず、まず失敗すると分かっているからだ。
(記) 中国が私営企業を認め、外資導入を積極化させたのは天安門事件の教訓があったからだと欧米の経済人はそう考えている。日米では一党独裁政治に不満を募らせた学生などインテリ層が大衆を巻き込んで爆発させたと思っている政・官・財界人が多いようだが、中国と交易してきたEUの大手企業やアジアでは台湾、香港、シンガポールといった中華系の経済人は「統制から開放経済へ」が心底にあって、政治改革を表面に打ち出したのは、文化大革命の裏返しを口実として地方にも呼びかけたことで、あれほどの大規模の動員となった。もちろん統治システムにも不満はあったが、腹の中では「経済の底上げを願っていたに違いない」と、とくに台香のビジネスマンたちは本気でそう思っていたし、今でもそう考えている。
さらに云えば、「だから中国人の経済・金儲けに対する欲望と上昇志向は、台湾人や華僑たちよりも数倍大きいのではないか」「このところ繊維工業は対欧米向け輸出自主規制で設備・生産過剰が取りざたされているが、赤字国営工場や国営自営を問わず、資本や技術あるいは販売基盤の弱い中堅以下の過半数は淘汰されるだろう。中央当局の締め付けが厳しく、地元行政や商工銀行も陳情やコネで救済することが難しくなっていること、そのうえ今後さらに人民元切り上げが予想されることから、国際競争力強化をスローガンにして残存工場の近代化推進すると考えられる。だから予測される北京オリ後のリセッションをいかに軽くするか。経済と軍備、さらに対米ロ・日欧といった微妙なバランスのひとつでもおかしくなればさらに現政権の命取りになる」
(編) その基礎となるのが"外貨稼ぎ"だよ。原油、食糧、原材料の何割かを輸入している。これらのうち何割かを加工再生産して輸出し外貨を稼ぐといった、日本の'50〜70年代と似た経済形態だし、また金融資本の自由化に関しても日本は90年代半ばまで閉鎖的だったことを考えると、中国のそれはずっとまだ先の話ということになる。WTOに加盟して3年、2国間自由貿易協定FTAはアセアンや南米の一部で進んでいるようだが、これもはっきり云って"一党独裁政権の恒久的維持"のための経済的戦略と思っていたほうがよさそうだ。
(記) こう云っては何だが、日本人は"お人好し"だとつくづく思うよ。逆説的に云えば北朝鮮のしたたかさとか、ロシア政府の外交駆け引き、アラブやインドのジラシあるいはトリッキーな商法などを混ぜ合わせて身につけ、相手の手法を見抜いて駆け引きするといったことも、日本のビジネスマンには必要と思える。中国との取引、投資や技術移転にしても、日本人の交渉や商売の仕方は先進諸国の間では一番甘いのではないかと欧州の機械大手のマネージャーは口を揃えて、大きな展示会で会うたびに云っていたことが思い出される。次に韓国人と欧州ラテン系の人たち。米とロシアに対して中国は一歩引いて損得を計算しながら折衝し、ドイツやスイスなど中北欧諸国人とは少し身控えながらビジネスを淡々と進め、決して打ち解けようとはしない。
アセアン諸国に対しての中国の立場は、ネシアのスカルノ大統領時の共産党員粛清が30年前に、そしてまたベトナム戦争時に反共産同盟としてとして6カ国でスタートした経緯もあった。しかし今は対先進消費国向け繊維・雑貨などでライバル関係にある。しかもシンガポールを始めネシア、ベトナム、そしてタイも商業や金融の一部を華僑系が握っていることから、多少の打算的な交易はあっても、たちまち融和とまでは行かず、むしろ人民元切上げを引き伸ばしたうえの2%程度の渋さ、威圧的な経済進出、それでいて途上国への経済援助はわずかなど、中国の対外政・経戦略には大いに疑問を持って眺めている経済人が多い。
(編) さて問題は「ポスト中国の第一候補」であるインド市場と中国のこれまでの実績と今後の動向とをどう天秤にかけるかだ。ナマナマしい話題「第3次小泉内閣の顔ぶれ」から見てこれまで以上の資本投下をするとは考えられず、取りあえずはバランスをとろうとするだろう。さらにこのほどホットな「日米安保理協議2プラス2の中間報告」が発表され、これら2大事項が連鎖するとなれば、単に「靖国問題」だけでは済まされず、おそらく日中間は政冷経熱ではなく"政冷経温"に、あるいは北朝鮮の核問題で6カ国協議が日米と中ロが対立して妥協が見送られた場合は、それこそ"政凍経冷"になる可能性もある。
昨春「米の対アジア外交・軍事戦略」として、北東から東南・西南アジアを経て中東(トルコやカスピ海周辺を含む)にいたる"不安定の弧"に対してフレキシブルに対応するとのペンタゴンの方策を打ち出したが、この弧のエリアに日本からの繊機市場の90%がスッポリと入っていると指摘した。だが機械設備の輸出市場はそう簡単にスウィングできそうにない。
一昨年「中国市場はほぼピークに達した。インドやトルコへの拡大展開あるいはアセアンへの再見直しが必要」と論記した。あれからほぼ2年を経たが、目下のところ成果を得つつあるとは云い難い。市場開拓の努力はしてきたものの、具現化するまでに至らないのは何故なのか。中国との競合を避けるためなのか。それともコストや品質で劣るためなのか。昨今「日本製は性能はよいが値段は高い。欧州から比較的安く売り込んできている。もっとも中国製はこれらよりベラ棒に安いがね」という話が伝わってきた。しかし日本のメーカーや商社は「インドから西の国は、もともと欧州側に眼を向けてきた。資本や技術の供与を受けてもきた。日本が欧州や急激にノシてきた中国製に対抗して商戦に打ち勝つためには、どうすれば成果をあげられるのか。やはり答えは安くてよい製品、というのが我々の結論だ」と。
今年のシンガポールから来年のマンネリ化した北京展、さらにイスタンブールを経て2年後のITMAミュンヘンにいたる2年間で機械が、メーカーが、販売戦略がどのように修正され転換を遂げているかだな。でなければ、ミュンヘンへの参画は控えたほうがよい。新技術・革新性を売り物としてITMAがスイス・バーゼルで始まってから約半世紀を経たが、バブルが崩壊し東西冷戦が終束し、湾岸戦争そして各地で民族・宗教対立による紛争、9.11に象徴されるテロの多発。その間の15年に繊機はどう進歩を遂げ発展したのか。90年代の合繊ポリ長ブーム、中国の繊維設備更新ブームによって、機械のサプライヤーが目先の生産に追われて研究開発に金や人材を投入できなかたっとの云い訳も聞こえないでもない。ポスト中国はやはり中国か、それともインドかアセアンか、今のところ判然としない。しかし2年後のミュンヘンに目玉が出現しなければ、それ以降は中印が自給の少し新鋭化した在来機を優先的に導入するだろう。そのとき、日欧メーカーは産資用や特殊機などだけで生き残り存続できるのだろうか。
<予告>
次回も「ポスト中国、シンガポール→イスタンブール・北京→ミュンヘンの2年間の展望」(下)を特集。サブタイトルは"カラシニコフ銃的機械が主流になる?"と"いつまでラベルの「ボレロ」を演奏し続けるの?"